背景
機動戦士ガンダムUCのEpisode 2で、フル・フロンタルが口にした言葉です。
プロモーション動画、1:50からこの台詞が聴けます。
シャアの再来と言われ、様々なシーンや設定でシャア・アズナブルを彷彿とさせるフル・フロンタルですが、この台詞に関してはシャアとは真逆の表現にも聞こえます。
シャアは『認めたく無いものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを』と呟いたことが有名ですが、フル・フロンタルはその過ちは認めて、次に活かせば良いのだと語ります。
一回り大人の雰囲気は伊達じゃ無いですね。
ガンダムUCのプロモは以下のページにまとめてありますので、懐かしむも良し、再度観てみるきっかけになればと思います。
教訓
フル・フロンタルはとにかくシャアに似ているというイメージが先行しがちです。
- 声(池田秀一)
- 台詞(当たらなければどうということはない、ほか多数)
- 容姿(端麗・金髪・額の傷)
- 機体の色(赤)
- 機体のスピード(3倍)
- 音(シナンジュのライフル=ジオングのメガ粒子砲)
- 仮面の男
シャアとフロンタルの共通点は挙げればキリがありません。
カリスマ性やMSの操作技術など、どこを取ってもシャアであると考えるに足るだけの素養を持っているように感じます。
作中でもシャアの再来と言われ、シャア本人であることを明確に否定する直接的な表現は出てきません。
バナージに『あなたはシャア・アズナブルなんですか?』と直球で聞かれた時にも、肯定も否定もしませんでした。
しかしこの台詞、『過ちを気に病む事はない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが大人の特権だ。』についてはシャアとは真逆の表現になっています。
実はフル・フロンタルの正体はシャア本人ではなく、シャアに似せて創られた強化人間の一人だったとするのがアニメ版の設定なのですが、本稿ではそこは深く触れません。
フル・フロンタルの最期は想像に余りある人類の恐らく最後の未来を想起する、とても示唆に富む内容ですので原作を見返してみて頂きたいと思います。
あくまでもこの台詞『過ちを気に病む事はない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが大人の特権だ。』について、ここから得られる教訓は、
今を生きることの大切さ
だと感じます。
人類の革新を信じ続け、長い作品の中で思想・感情を成長させてきた一方で人間味や弱さも感じさせるシャアとは異なり、自信を人の総意の器と規定し、圧倒的に現実主義に徹した大人であり、人間性を感じさせないほど冷徹なフロンタルが発する言葉だからこその“伝わり方”があるのだと感じます。
人類の終焉までをも想定したそんなフロンタルでさえ、現実社会に目を向けてこのような視点を持ち合わせていることは、人の在り方を考えさせてくれるものです。
原作者、福井晴敏氏はフロンタルを『現実を突き付けて可能性を破壊しようとする後ろ向きな大人を象徴する存在』として描かれたそうですが、そんな大人から出る前向き発言というところにこの台詞の奥ゆかしさがあるのかもしれません。
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